膨張黒鉛は黒鉛に化学的な処理と熱的な処理を加えることで、その体積を数百倍にまで人為的に膨張させた炭素材料です。
かつて産業界において高熱や化学薬品に耐えうるシール材、いわゆるガスケットやパッキンとしてはアスベストが不動の地位を築いていました。しかしその健康被害が明白となり使用が全面禁止される中、アスベストを凌駕する絶対的な代替素材として産業の危機を救ったのが、この膨張黒鉛から作られるフレキシブルグラファイトシートです。さらに現在ではその特異な熱伝導性を活かし、最新のスマートフォンや電気自動車のバッテリーにおける熱マネジメントの中核材料として、全く新しい価値を生み出し続けています。
インターカレーションと熱膨張のミクロ物理
黒鉛層間化合物の生成
天然黒鉛は、炭素原子が亀の甲羅のように六角形に連なった平面構造が幾重にも積み重なった構造をしています。この層の内部は強固な共有結合で結ばれていますが、層と層の間はファンデルワールス力と呼ばれる非常に弱い力で引き合っているだけです。 この層の隙間に硫酸や硝酸といった強力な酸化剤を浸透させる化学処理を行います。これをインターカレーションと呼び、生成された物質を黒鉛層間化合物と呼びます。炭素の層間に硫酸分子などが規則正しく挟み込まれた状態となります。
瞬間的な加熱と体積膨張
この層間化合物を水洗いして乾燥させた後、およそ摂氏1000度という高温の炉内に瞬時に投入します。 すると層間に挟まれていた硫酸などの層間物質が急激に気化・分解し、量のガスを発生させます。このガスの膨張圧力は、層間の弱いファンデルワールス力を容易に打ち破り、黒鉛の層を垂直方向へと猛烈な勢いで押し広げます。 この結果、元の体積の約200倍から300倍にも膨れ上がった黒鉛粒子が生成されます。これが膨張黒鉛です。
自己結着とフレキシブルシートの形成
膨張した直後の黒鉛は、極めて軽く、わずかな風で吹き飛んでしまうようなフワフワとした粉体です。これを工業的に利用可能な形へと変換するプロセスがカレンダー加工です。
バインダーフリーの圧力成形
毛虫状になった膨張黒鉛粒子を、二つの巨大なローラーの間に通して強い圧力をかけ、押し潰します。 ここで最も驚くべき物理現象は、接着剤や樹脂などのバインダーを一切添加しなくても、粒子同士が強固に結びつき、一枚の柔軟なシート状になるということです。 押し潰される過程で、無数に引き裂かれたグラフェン層の端部同士が物理的に複雑に絡み合い、互いに噛み合うことで強固な自己結着力を発現します。
純度100パーセントの炭素材料
接着剤を含まないということは、このフレキシブルグラファイトシートが、元の天然黒鉛と同じ純度99パーセント以上の炭素のみで構成されていることを意味します。 ゴムや樹脂を混ぜた材料では、高温環境下でバインダーが焼き飛んでしまいボロボロになりますが、純粋な炭素である膨張黒鉛シートは、後述する極めて高い耐熱性と耐薬品性をそのまま保持したまま、紙や布のような柔軟性を獲得しているのです。
熱伝導と電気伝導の巨大な異方性
ローラーで押し潰してシート化するプロセスは、膨張黒鉛の内部に極端な方向性を生み出します。この異方性こそが、現代の熱マネジメントにおいて重宝される最大の理由です。
面内方向と厚み方向の物理的落差
プレス加工により、全てのグラフェン層はシートの面に対して平行に寝た状態で折り重なります。 炭素の六角網目構造が連なるシートの面内方向、a-b軸方向は、熱や電気が極めてスムーズに流れるハイウェイとなります。その熱伝導率は銅やアルミニウムに匹敵し、高密度に圧縮したものではそれらを上回る数値を叩き出します。 一方で、シートの厚み方向、c軸方向は、グラフェン層が途切れて物理的な隙間が多数存在するため、熱や電気の流れが極端に阻害されます。厚み方向の熱伝導率は面内方向の100分の一以下となり、実質的に断熱材のような振る舞いを見せます。
ヒートスプレッダとしての熱拡散
この強烈な異方性を利用したのが、スマートフォンや薄型ノートパソコンに内蔵されるヒートスプレッダ、熱拡散シートです。 高性能なCPUなどの発熱体から出た熱は、シートの厚み方向には伝わりにくいため、筐体の表面に局所的な熱だまり、ホットスポットを作ることを防ぎます。代わりに、熱は抵抗の少ない面内方向へと一瞬で拡散し、機器全体の広い面積を使って効率よく大気中へ放熱されます。 薄く、軽く、柔軟で、金属以上の熱拡散能力を持つ膨張黒鉛シートは、高密度実装される電子機器の熱対策における決定打となっています。
シール材としての力学的特性
膨張黒鉛のもう一つの巨大な市場が、配管のフランジやバルブの隙間を塞ぐシール材、すなわちガスケットやパッキンです。ここでも、その特異な力学特性が発揮されます。
圧縮率と復元率のバランス
配管の継ぎ目から流体が漏れるのを防ぐためには、ボルトで締め付けた際に材料が適度につぶれ、フランジ面の微細な凹凸に隙間なく入り込む必要があります。膨張黒鉛シートは優れた圧縮率を持ち、金属表面の荒れに完璧に追従します。 さらに重要なのが復元率です。配管に熱がかかったり圧力が変動したりしてフランジの隙間が微小に開いた際、ゴムのような弾力性で自ら膨らんで隙間を埋め続ける能力が必要です。膨張黒鉛は、金属疲労を起こさないグラフェン層の重なりによって、長期間にわたりこの復元力を維持します。
応力緩和とクリープ特性
ゴムやテフロンなどの高分子材料を高温高圧で締め付けたまま放置すると、時間の経過とともに材料が逃げて薄くなり、締め付け力が失われる現象、クリープあるいは応力緩和が発生します。これが漏れの大事故に直結します。 しかし、純粋な炭素の集合体である膨張黒鉛は、温度変化によるクリープ現象が極めて小さく、一度締め付けたボルトの軸力を半永久的に保持し続けます。これにより、プラントの長期間連続運転における安全性が飛躍的に向上しました。
うず巻形ガスケットとグランドパッキン
シール材として使用される際、膨張黒鉛は単体で使われるだけでなく、金属と組み合わせてその強度を補強されます。
うず巻形ガスケット スパイラルワウンド
高圧の蒸気やガスが流れるプラント配管で最も多用されるのが、うず巻形ガスケットです。 V字型に成形したステンレス製の金属帯、フープと、クッション材となる膨張黒鉛の帯、フィラーを交互に巻き重ねて作られます。 金属の持つ高い機械的強度とバネ性、そして膨張黒鉛の持つ抜群のシール性と耐熱性が組み合わさることで、摂氏数百度、数百気圧という極限環境の流体を完全に封じ込めます。
バルブ用グランドパッキン
流体を制御するバルブのハンドル軸、ステムの周囲から流体が漏れるのを防ぐのがグランドパッキンです。 膨張黒鉛を紐状に編み込んだ編組パッキンや、リング状に金型で圧縮成形したダイフォームドリングが用いられます。 バルブの軸は回転したり上下に動いたりするため、パッキンには摩擦を減らす自己潤滑性が求められます。黒鉛本来の優れた潤滑性により、軸を摩耗させることなく、かつ高温の蒸気や有毒ガスを外部に漏らさない、強固なシール機構を構築します。
極限の耐熱性と化学的安定性
膨張黒鉛がシール材としてアスベストを完全に駆逐できた理由は、その比類なき化学的および熱的安定性にあります。
温度依存性のない物性
ゴムや樹脂は、極低温の液体窒素環境ではガラスのように凍りついて割れ、高温環境では溶けたり燃えたりします。 膨張黒鉛は、絶対零度に近いマイナス240度の極低温環境でも柔軟性を失わず、大気中では摂氏400度まで、酸素を遮断した不活性ガス中であれば摂氏3000度という、あらゆる素材の中でもトップクラスの高温まで、溶けることも変質することもありません。
広範な耐薬品性
酸、アルカリ、有機溶剤、熱媒油など、プラントを流れるほぼ全ての化学物質に対して不活性であり、腐食や膨潤を起こしません。 ただし唯一の弱点として、発煙硝酸や濃硫酸といった極めて強力な酸化性を持つ薬品に対しては、炭素が酸化されて二酸化炭素となって消失してしまうため、使用が制限されます。それ以外の環境においては、万能の耐性を持つシール材として君臨しています。
新たな環境・エネルギー分野への応用
シール材と熱マネジメント材料として成熟した膨張黒鉛ですが、近年、その特殊な形状を生かした新たな応用分野が開拓されています。
燃料電池のセパレータ
水素と酸素を反応させて発電する固体高分子形燃料電池において、セル同士を隔て、ガスを供給し、電気を流す役割を持つのがセパレータです。 従来はカーボン粉末を樹脂で固めたものや、チタンなどの金属をプレスしたものが使われていましたが、膨張黒鉛を極薄の高密度シートに圧縮成形したセパレータが実用化されています。 金属のように錆びる心配がなく、樹脂を含まないため電気抵抗が極めて低く、燃料電池の軽量化と高効率化に大きく貢献しています。
難燃剤と延焼防止
膨張黒鉛の「熱を加えると膨らむ」というインターカレーションの性質は、シート化する前の粉末の段階で、難燃剤として利用されます。 ウレタンフォームやプラスチックの建材に膨張黒鉛の粉末を練り込んでおきます。万が一火災が発生して高温に晒されると、練り込まれた黒鉛が瞬時に数百倍に膨らみ、炭化物の断熱層、チャーを形成します。これが炎と酸素を遮断し、有毒ガスを発生させることなく延焼を強力に食い止めるという、画期的な自己消火メカニズムを実現しています。
海洋汚染を防ぐ油吸着材
膨張直後の毛虫状の黒鉛は、内部に無数の巨大な空間を持つマクロポーラス構造をしています。 この空間は、水は弾きますが、油などの有機化合物は強力に吸い込むという親油性を持っています。タンカー事故などで海上に重油が流出した際、この膨張黒鉛を散布すると、自重の数十倍から百倍近い重油を瞬時に吸い込み、海面に浮いたまま回収できるという、環境浄化材料としての側面も持ち合わせています。


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